中国のパワースッポット 西安・青龍寺

 

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●西安・青龍寺

804年に空海は遣唐使として長安の都を訪れ、青龍寺で師匠となる惠果と出会い密教を日本に持ち帰った。空海がお勉強した場所がこのお寺です。 

1982年以来、西安人民政府が、青龍寺の遺址と伝承されてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘し、この地がいにしえの青龍寺であったことを確かめた。

青龍寺は復興され、そこには空海記念碑、恵果・空海記念堂が建つ。また、元四国霊場会会長蓮生善隆(善通寺法主)により四国八十八箇所の零番札所と名付けられた。

 

現在の建物などは1981年以降の日中両国による青龍寺遺跡上への復原建築で、空海紀念碑、惠果空海紀念堂、庭園がある。日中の友好と文化交流において重要な場所、記念すべき場所であるとして紹介されている。

なんと、30年前に復興したお寺だった。

あんたダレ?

なんのサインかな。

小高い丘の上にあり、西安市街を見下ろすロケーション。ここは楽遊原という。大雁塔をさらに東南の方角へ行って、青龍寺のある丘陵地帯。李商隠という歌人が立ったろう楽遊原に立って、西安の街を見た。

この建物はお寺と関係ありますか?ありそうです。こんな詩がありました。しぶいね。

李商隠の詩「楽遊原
  向晩意不適  晩に向(ナンナン)として 意 適せず
  駆車登古原  車を駆りて 古原に登る
  夕陽無限好  夕陽 無限に好(ヨロ)し
  只是近黄昏  只だ是れ 黄昏に近し
  日が暮れようとするこのひととき 気分が晴れない
  馬車を走らせて 楽遊原に登る
  夕陽は限りなくすばらしい
  だがしかし たそがれが近づいている

スパイダーズの唄う

   夕焼け、海の夕焼け

   真っ赤な別れの色だよ・・

のほうが好きですね。やっぱり。

 

復興までの経緯

創建は、隋の開皇2年(582年)であり、当初は霊感寺と呼ばれた。初唐の武徳4年(621年)に一度、廃寺となった。

龍朔2年(662年)に再建され、観音寺と改められた。

青龍寺と改称されたのは、景雲2年(711年)のことである。唐中期には、恵果らの密教僧らが住持するようになり、入唐留学僧たちとの関係が生まれた。空海は恵果に学び、天台宗の円仁や円珍らも恵果の法系に連なる法全に就いて密教を学んだ。

 会昌5年(845年)、会昌の廃仏によって再び廃毀された。

大中6年(852年)には、いったん復興を果たし、護国寺と改められている。唐末五代の動乱によって、都の長安は寂びれたため、以後三たび姿を消すこととなった。

 

 

2011年5月訪問

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