赤坂氷川神社

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赤坂氷川神社 

100年に一度の山車が出るとのこと。赤坂見附に展示してあるので行ってみた。

うーん。表情まで読み取れませんね。

ちょっと離れていますが、神社にテクテク歩いてみました。

参道は2つあって、こちらは拝殿に向かってまっすぐに。

右の広場には紅白の幕ややぐらが設営してあります。明日はお祭りなんですね。

誰が太っ腹とかシミッタレとか発表した紙を展示しています。

手水社の奥に稲荷神社が2社(山口/桶新稲荷神社)ありますが、夕暮れ時でもあり蚊が活動開始でもあり後刻・・で撮影失念。

蚊を養殖場を副業にしているような・・2拍手は蚊を狙っていました。

神殿と拝殿

参道の左手には、九神社がある。
9つの神社が合祀された境内社。金刀比羅社・諏訪社・厳島社・春日社・天祖社・八幡社・鹿嶋社・秋葉社・塞神社。

境内のあちこちにいろんな史跡とか、あります。

当社は浅野匠頭夫人の幽居していた、浅野土佐守邸址とのこと。

氷川坂からの参道です。こちらからのほうが、神社らしい雰囲気が強いと思います。

右の狛犬は、枝を頭で支えています。力持ちです。殴られているようにも見えますが。

四つ角のような場所。左は橋。正面は階段(男坂)。右に曲がると女坂。

右がお稲荷さん。おくの石段が女坂。左が・・

まずは、男坂。

唯一の氷川神社の社名表示付き鳥居。

四つ角に戻って、橋。

四合稲荷は、明治中期に以下の四社の稲荷を合祀した稲荷。勝海舟によって名付けられたとのこと。故呂古稲荷(一ツ木丘鎮座)、地頭稲荷(氷川神社の地主神)、本氷川稲荷(本氷川神社境内鎮座)、玉川稲荷(赤坂見附玉川邸鎮座)。

西行稲荷神社。西行というと・・ではなくて、享保の時代、田町5丁目(現在の赤坂3丁目付近)に西行五兵衛というものがおり、榎坂を通行中に狐の形をした三寸程の稲荷のご神体らしい像を拾い、勧請したため、「西行稲荷」としました。
 町の発展に伴い、大正10年氷川神社境内に遷宮し、別名「火伏の稲荷」ともいわれ、火災除のご利益があるといわれています。
だそうです。

赤坂に戻ってきました。この界隈は江戸と東京が同居しています。正面の丸っこいお城のようなホテルは取り壊しが始まっていました。昭和53年ごろにはすでにあった興味ふかい場所だったんですが、探検することなく終了。TBS会館のほうがとっくの昔になくなりサカスになってしまいましたが、昭和も4半世紀前だったんですね。江戸よりも昭和が消えるのが早そうです。

2012年9月13日参拝

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おまけ