花園神社

 

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花園神社

新宿といえば、歌舞伎町。

区役所通りの1本隣の四季の道という石畳の通路がありますが、昭和45年に廃止された都電13系統の線路軌道跡です。この時代は、都電がブリブリ走ってましたし、トロリーバスも頑張ってました。

この通りの脇に新宿丁目ゴールデン街がありますが、この路地を抜けると花園神社(はなぞのじんじゃ)があります。ゴールデン街は外人さんに人気がある観光スポットのようです。

神社の創建の由緒は不明。徳川家康が江戸に入った1590年にはすで存在しており、大和国吉野山よりの勧請したらしい。その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祭られるようになった。

元は現在地よりも約250メートル南にあったが、事情により、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地に遷座した。そこは多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったそうです。時代は下り、昭和3年、現新宿4丁目にあった雷電稲荷神社(雷電神社/祭神:受持神)を合祀、さらに、昭和40年に末社・大鳥神社(祭神:日本武尊)を本殿に合祀し、社名を「花園神社」に改めたとのこと。

そんなわけで、

倉稲魂命(花園神社)日本武尊(大鳥神社)受持神(雷電神社)の3柱の神さまを祀っています。

花園神社で酉の市をやるのかわかりました。ようやく。大鳥神社がやってたわけね。

入り口①

大鳥居 新宿1、2を争う高さの大鳥居は鉄製。平成8年建立。

 

入り口② 鳥居を3回くぐります。

文政4年(1821)に造立された雄雌一対の銅製の唐獅子像である。
内藤新宿の氏子たちにより寄進されたもので、台座の銅板には発願者等の名が刻まれている。
像高75cm、台座は高さ137cm、幅119cmで、江戸末期の鋳工として名高い初代村田整珉の作である。
花園神社は慶安元年(1648)尾張公の別邸内に創建された。別邸内に花園があったところから花園神社と呼ばれ、内藤新宿の鎮守として信仰された。(新宿区教育委員会掲示より)

入り口③

拝殿のある広場に至ります。手水舎。

拝殿 昭和40年6月に鉄筋コンクリート造りの社殿。

倉稲魂命(花園神社)日本武尊(大鳥神社)受持神(雷電神社)の表札(社名額?)。賽銭箱などには花園神社の「抱き稲」、雷電 神社の「三つ巴」、大鳥神社の「鳳凰の丸」の神紋が打ってある。

神楽殿 

境内社の威徳稲荷神社。威徳稲荷は男女和合の神様だそうで、昭和3年4月頃に建てられたと伝えられ、女性の参拝者に人気の高い神社らしい。立派なXXXXが奉納されているからかもね。

納め大明神。 古くなった神札及び神符を納める場所。「腹の立つことなども当神社にお納めください」との看板が立てかけてある。お言葉に甘えて・・

「○X#%?!」

2013年4月12日参拝

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おまけ