阿智神社

 

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阿智神社 (倉敷市)

 

倉敷市本町の鶴形山にある神社。

 

倉敷駅前にあったチボリ公園が2009年10月には無くなっていた。

2004年4月の写真が右。いろんな事情があったのでしょう。 

お仕事を兼ねて、倉敷お約束の美観地区あたりまで行くことにします。

なつかしいホーローびきの看板が貼られたままの商店街を行くと、なにやら神社の鳥居が。

倉敷美観地区の北にある鶴形山と呼ばれる小高い山の上に鎮座しています。

地図左端から上っていったわけですが、ここは裏口だった?のようです。

昔は、この岡山平野は吉備の穴海と呼ばれる海域で、この鶴形山も「亀島」「鶴形島」などと呼ばれていた島だった。ここに朝鮮半島から住み着いたのが阿知使主の一族。海上交通の守護神である宗像三女神を祀ったと考えられている。

 

島だった・・ということは、海面が現在より13m上昇していたとすると、こんな様子になります。

島になってますね。十六代応神天皇時代は、いまより海面が10mは上昇していたのかな。

阿智神社の由来

応神朝に朝鮮半島より渡ってきた漢の霊帝の曾孫、阿知使主(あちのおみ)一族。彼等は「製鉄」「機織」「土木」等の先進文化を担う技術集団として、 吉備国の繁栄の礎を築き、当時、島(内亀島)であったこの鶴形山に神々の天降られる斎庭として、日本最古の蓬莱様式の古代庭園を造ったと伝えられている。
白壁の蔵の町、倉敷美観地区の一角にある鶴形山の頂上に鎮座する当社は、この阿知使主一族の大いなる功績を称え、明治時代に現社名になったが、社伝による と神功皇后がこの付近を航行の折、嵐に遭い祈願されたところ、三振の剣が天空より明るく輝いてこの山に天下ったため、「明剣宮」として、宗像三女神をお祀 りしたとされている。中世、神道が仏教と習合し、明治までは「妙見宮」と称され、旧倉敷総鎮守の宮として近郷近在の人々の尊崇を集めてきた。
祭神の宗像三女神は皇祖神、天照大御神と素盞鳴尊の娘神で、海の守護神であり、交通交易、財宝、芸術、美の神でもある。その他、応神天皇を始め、約三十柱の神々をお祀りしている。
また山には神々をお祀りする磐坐(いわくら)が点在し、古代から神の島として崇められてきたと思われる。

立派な藤棚とかあったりします。大きな神社です。

ようやく社にたどり着いた・・。ちょっとしたハイキング。

拝殿です。写真は神社の紹介ページから借用

この階段を下りて、美観地区にいったっけ。

例の美観地区。

参拝の後は、岡山にて大宴会。豪華だね。

うらやましいでしょう。また、やりたいな。元気なら飲める。

  

 

2009年10月参拝

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おまけ