北野天満宮

 

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北野天満宮 

分社の数では1万社ともいう。第3位。

菅原道真、天神様・・の本家・・ではなくて

北野天満宮と太宰府天満宮はそれぞれ独立に創建されたものであり、どちらかがどちらかから勧請を受けたというものではない。そのため、北野天満宮と太宰府天満宮では「総本社」「総本宮」という呼称は用いず、「天神信仰発祥の地」という言い方をしている。

辰年最終日に間に合いました。あと45分で巳年です。
まずは、この絵馬を見ましょう。楼門に掲げられた大きな桧板です。
では、「開運」させてもらいましょう。
この天満宮の参拝は約30年まえの正月休み明けの5日か6日だったと思います。
娘の高校受験の合格祈願のためで、北野天満宮参拝の後、太宰府の天満宮を参拝しました。
なお、この前後に、浅間神社ー北野天満宮ー伏見稲荷大社ー太宰府天満宮と
神社参拝ツアーをやったことを思い出します。
 
では、参道の入り口から。一の鳥居。

菅原道真公は、幼少の頃より学業に励み、情緒豊かな和歌を詠み、格調高い漢詩を作るなど優れた才能の持ち主でした。
学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し、異例の出世を重ねられた菅公は、昌泰二年(899)右大臣の要職に任命され、左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括されます。ところが、突如藤原氏の策謀により、昌泰四年(901)大宰権帥に左遷され、そのわずか2年後、大宰府の配所にて波乱の生涯を閉じられました。菅公の清らかで誠実な人柄と晩年の不遇はさまざまな伝説を生み、やがては天神さまと崇められ、現代でも盛んな信仰へと展開します。

 
正面の松に意味がありそうな。
二の鳥居が見えました。
三の鳥居です。
ようやく、楼門が見えました。
ここに絵馬が掲げられています。
随神さん
 
まっすぐ行くと拝殿にいけないのですね。これが、怨霊説のひとつの証。
神殿からはまっすぐに出て行けないようにしたとも言えますね。
手水舎にも牛さん。
三光門
三光門を通ります。
本殿です。
本殿の裏側に。手前が本殿の拝殿、置くが神殿。後方の赤い社には、このあと回ります。
北野天満宮その2 を作りますので。

2012年12月

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おまけ

天神様なので牛さんがたくさんいます。