●大國魂神社
東京都府中市にある大國魂神社は大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵の国の守り神としてお祀りした神社です。
この大神は、出雲の大国主神と御同神で、大昔、武蔵の国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、又、医療法やまじないの術も授けられた神様で、俗に福神、又は縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様です。
写真は、神社のHPから借用。
当社のご祭神は、
当社の起源は、人皇第十二代景行天皇四十一年(一一一)五月五日大神の託宣に依って造られたものである。
その後、孝徳天皇(五九六-六五四)の御代に至り、大化の改新(六四五)のとき、武蔵の国府をこの処に置くようになり、当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する所にあてられた。
又、国司が国内社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、これが即ち武蔵総社の起源である。
後に本殿の両側に国内著名の神、
この神社は、以前から関わりがあったのかな。
●親の世代のこと・・・
五月五日には例大祭が行われるが、この祭が有名な国府祭で、当夜八基の御輿が古式の行列を整え、消燈して闇夜に御旅所に神幸するので、俗に「くらやみ祭」といわれている。
wikiによれば、司馬遼太郎原作『燃えよ剣』(1962-5)は、主人公のトシ(土方歳三)が六社明神の暗闇祭りのかがいに参加する場面から始まる。歌垣は、特定の日時と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を掛け合う呪的信仰に立つ行事であり、互いに求愛歌を掛け合いながら、対になり恋愛関係になるとされる。
「くらやみ祭」は、昭和の10年前後を15歳前後の少女として練馬で育ったものには、背伸びしてでもこっそりと出かけてみたい禁断の祭だったみたい。
真っ暗闇で、若い衆や娘どもが年に一度の無礼講で、女中や奉公人のひそひそ話をこっそり聞き込んで、想像を膨らませていたのが母の若い日であった。
●子供の時代のこと・・
昭和50年代は、この神社まで30分ほどのところに住んでいた。
七五三はこの神社で2回やった記憶がある。
1回目の3歳のときだ。
●自分のこと・・
昭和から平成になったころ、この神社の徒歩圏内に職場があった。正月は職場全体でこの神社に初詣しお祓いを受ける習慣があり、4年くらい続いた。
その間に、さらに近くに職場が移ったため、府中に飲みにいくときはこの神社を通り道にしていたこともある。
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結構、関わりが深い神社なんですね。