蛯子稲荷神社

 

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新宿 蛯子稲荷神社 韋駄天尊堂

 

久しぶりに都庁に所用で訪れました。新宿駅への戻りは甲州街道方面からにしました。左側の奥が都庁舎、正面が住友三角ビルですね。

反対側に新宿ワシントンホテル新館があります。この横断歩道を渡ったのですが、小さなお堂と赤い旗を発見。なんだろう。

 

このあたりは、昔は角筈村(ツノハズ)、1978(昭和53)年に西新宿3-2-9となった。青梅街道の向こう側の柏木は1971(昭和46)年に名前がなくなちゃって西新宿になっている。若い頃、歩き回っていた場所の名前がなくなるのはさみしいものですね。


右がわにはお稲荷さんがいらしゃいました。

「うばこいなりだいみょうじん」と読み、商売繁盛の神として韋駄天尊と共に当地に遷座された。「蛯」は本来「えび」と読み、 「えびすいなり」と読むのが普通と思われるが、近隣の人々には「うばこいなり」と呼ばれ親しまれ崇敬されています。例祭日は二月二の午。

だそうです。

中央のお堂には韋駄天さんがいらっしゃいました。

銅像の案内文

由緒
韋駄天尊は江戸中期の作とされ、上州館林の城主秋元但馬守礼朝公の守護神且つ戦神として当初江戸浅草に祭祀され、明治四年同公の下屋敷たる当地に遷座されました。 その後広く信仰を集め参詣する人が増えたため、大正八年独立仏堂となるも大東亜戦争末の空襲により昭和二十年四月仏堂は消失破壊されました。 戦後の混乱も漸く治まりつつあった昭和三十年頃地元に復興の機運が高まり現在の板碑が復元されました。板碑は宮原柳遷画伯の揮毫により、名工草野氏が仙台石に彫刻し、 堂宇は大工頭領平田七五郎氏により総桧造りをもって再建されました。以来三十年の星霜を経て、当地が東京新都心として超高層ビルが林立し始めた昭和六十一年に周辺環境に相応しく、 また当地の守護神として末永く御加護賜らんことを祈念申し上げ、現在の堂宇を建立しました。

 

蛯子稲荷神社は稲足神社(稲足神社)の摂社です。昭和63年に稲足神社を建立遷座するにあたり、その遷座地として稲足神社の地を寄進された方が野村専太郎ご夫妻です。この方は、小田急建設の祖だったそうです。1869年野村専太郎が創業した土木建築請負業を前身に,1939年野村組を設立。 71年小田急建設に社名変更し,小田急グループに参画。とありました。

 

稲足神社にもそのうちに・・

 

2015年3月12日

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