石神井 厳島神社

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厳島神社地図

三宝池の畔にあります。創建年代はわかりません。江戸時代、三宝寺持ちの弁天社がありましたが、明治時代の神仏分離令により厳島神社となったそうです。

三宝寺池と石神井川の古称である「弁天池」「弁天川」はこれに由来するとのこと。

明治41年、大正4年に近隣の稲荷神社、愛宕神社、御嶽神社を合祀、昭和58年に現在の社殿が竣工しました。

昭和30年代後半、この池に絵を描きにきていましたが、そのときの社とは全くイメージが異なっています。コンクリートの社はナンダカネエ。

 

この斜面を上から降りていきます。右側にあるのは穴弁天さまです。

正面に厳島神社。

池の方から見ると、・・。去年(2010年1月)の冬の写真。

やはり江戸時代にあった水天宮は水神社として、境内社となっています。上の写真だと左端です。

こちらは2010年1月のもの。

穴弁天。宇賀神社とも。毎年4月、厳島神社の例大祭の際に公開されているとのこと。

中を覗いても真っ暗。穴の中は10m弱程度の奥行きということです。突き当りには御神体が安置されております。宇賀神(ウガシン)と呼ばれる、頭が人間でカラダが蛇とういう姿だそうです。

散歩中のイヌオバさん(13歳)によると、「石神井城に続く抜け穴よ」。

詩吟ジジも・・、ヘタだけど蝉時雨の勝ちで気にならない。この時期、蚊が多いのが難点ですね。

創立年代等不詳。「新編武蔵風土記稿」上石神井村の項に「弁天社 三宝寺池ノ中島ニアリ。神楽堂」「水天宮 池ノ側ニアリ。」とある。弁天社は神仏分離後に厳島神社となる。水天宮は水神社である(当社から東へ50mほどの池畔にある小祠)。厳島神社は昭和56年から境内の護岸工事、57年には社殿の改築工事を始めて58年に鉄筋コンクリート造として竣工した。
南の丘の下に洞穴の祠があって穴弁天という。「北豊島郡誌」石神井村の項に「無格社厳島神社。大字上石神井字大門に在り、即ち三宝寺池畔の弁財天なり、石神井案内に曰く、池畔の洞窟、奥深き所には池霊の弁財天像を安置し里人相伝へて尊敬している。冒険の士は一把の松明を携へて暗黒裡陰風凄愴なる辺りに、池霊と相語るも亦快きことではないか」と記されている。雨乞いに際し、本殿に祀り祈願すると必ず雨が降ったという。(中略)
相殿の祭神は明治41年、大正4年に近隣の稲荷神社、愛宕神社、御嶽神社を合祀したものである。(練馬区の神社より)

何度も参拝してますが。最新は、2011年8月25日参拝。

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