北口本宮富士浅間神社

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北口本宮富士浅間神社

三回目の参拝のはずだ。20年以上昔の正月2日の明け方の拝殿は心底冷え込んでいた。そのあと、初夏、今回は晩夏となった。

社記は弥生期創祀と伝えている。神域を「諏訪森」、字名を「諏訪内」といい、このあたりは諏訪神社(現摂社)の神域だったそうだ。浅間神社は当初、諏訪神社に付するかたちで、富士山2合目鎮座の小室浅間明神 (冨士御室浅間神社)から勧請した、とのこと。 

国道138号に面する一の鳥居から参道に。

樹齢300年の杉桧林に包まれた参道は独特の雰囲気です。苔むした大灯籠に延々と続きます。

高さ18m、木造の両部鳥居。

神社建立前からあった富士山遥拝の鳥居が起源とのこと。60年ごと造替されるそうです。

大鳥居をくぐると随神門や神楽殿、手水舎、拝殿、御神木があります。

随神門

随神門から神楽殿をのぞむ

本殿は元和元年(1615)再建。桃山期の様式をとどめた一間社入母屋造。

摂社 諏訪神社

当地の産土神であり、浅間神社勧請前から諏訪森に鎮座していたけれども、明治期、浅間神社神主 が兼務するようになり、同社摂社となったとのこと。あとからの浅間さんに諏訪さんの台所をみてもらているかたりかな。北口本宮冨士浅間神社の祭礼として知られる「吉田の火祭り」は、もともと諏訪神社の祭礼だったそうだから、開催権も浅間神社との共催になったらしい。それに伴い、祭りの起源伝承も変遷。「諏訪神が戦いのさい松明を 燃やした故事」から、「木花開耶姫命が燃えさかる炎のなか無事出産した故事」に改変されてきたそうです。ワールドカップで日本単独開催のつもりがどっかと共催になったのと事情は・・ちがうよね。

 境内には多くの末社が祀られています。諏訪神社前に

           三殿社                      三神社

           風神社                      下諏訪社、子安社

東宮:祭神は彦火火出見命。富士権現とも称した。

        本殿後ろに恵毘寿社。              東宮隣に神武天皇社。

西宮:祭神は天照大神、豊受大神、琴平大神。形は同じだけど東宮よりもひと 回り大きい。
富士山北口(吉田口)登山道の起点。登山道の鳥居のさきに祖霊社。

登山道前に日之御子社、池鯉鮒社、倭四柱社、日枝社、日隆社、愛宕社、天津神社、国津神社、天満社。

表参道沿いに青麻社、稲荷社、八幡社。

 2011年8月29日参拝

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