牛島神社

 

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向島 牛島神社

牛島の由縁は、天武天皇の時代に両国~向島が牛島と言われ国営牧場として設置され、大宝元年(701)にはこの地区を浮島牛牧と称させられたそうです。これは諸国牧といい、兵部省が所轄する牧で、延喜式によると18ヵ国に馬牧が24ヵ所、牛牧が12ヵ所、馬牛牧が3ヵ所の計39の牧が設置されていました。

神社に伝わる縁起書によると、貞観二年(八六〇年)慈覚大師が御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請して創祀し後、天之穂日命を祀り、ついで清和天皇の第七皇子貞辰親王がこの地でなくなられたのを、大師の弟子良本阿闇梨がその神霊を併せてお祀りし『王子権現』と称した。祭神は

須佐之男命(すさのおのみこと)
天之穂日命(あめのほひのみこと)
貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)

本殿前には全国的に珍しい三輪鳥居(三つ鳥居)があります。

狛犬と並んで左右一対の神牛(狛牛)が奉納されています。右側の狛牛は写真なし。

東京大空襲での類焼も免れ東都随一といわれる総桧権現造りの社殿

小梅稲荷神社

撫で牛青銅製)
撫牛の風習は、江戸時代から知られていました。自分の体の悪い部分をなで、牛の同じところをなでると病気がなおるというものです。牛島神社の撫牛は体だけではなく、心も治るというご利益があると信じられています。また子どもが生まれたとき、よだれかけを奉納し、これを子どもにかけると健康に成長するという言い伝えもあります。
この牛の像は、文政8年(1815)ごろ奉納されたといわれ、それ以前は牛型の自然石だったようです。
明治初期の作家、淡島寒月の句に「なで牛の石は涼しき青葉かな」と詠まれ、堀辰雄は「幼年時代」で「どこかメランコリックな日ざしをした牛が大へん好きだった」と記すように、いつも人々に愛されてきました。(墨田区教育委員会)

包丁塚 向島の料亭街に隣接しているので調理関連の碑が目立ちます。 

鳥居が4箇所の参道にあります。

浅草仲見世通り脇で。

2012年3月11日参拝

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おまけ