八坂神社

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八坂神社

(2012年のものに2013年12月参拝に伴い追加訂正しました。夜間の写真が該当します)

 

ヤサカ神社は一説では大和時代、高麗の調使であった伊利之(いしり)の後裔・八坂氏が朝鮮の牛頭(ごず)山に祀る牛頭天王を移したことに始まるともいわれています。また帰化した八坂造(やさかのみやつこ)一族の氏神だった感神院が起源ともいわれているそうです。八坂造(やさかのみやつこ)一族の氏神なんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祭神は素戔嗚尊・櫛稲田姫命・八柱御子神。明治維新まで祇園社または感神院と称した。創祀は、諸説あるが社伝では斉明天皇2年(656)と伝えられ平安遷都がなされた延暦13(794)以前よりこの地に祀られていたとされる。また、貞観11年(869)疫病流行の際、当社の神にお祈りして始まったのが祇園祭である。平安時代には二十二社の一に数えられ、朝廷からも厚く崇敬された。一方、民衆の信仰も深く京都はもとより全国に広く崇敬されるようになった。現在ではこの神を祀る神社は三千余社に及ぶ。

正しい入り口は「南楼門」になります。東大路通りを駐車場方面にいくことにしましょう。ここが、作法にかなった参拝です。

楼門を入った左に手水舎

楼門を入った右に能舞台

楼門を入った正面に舞殿

夕刻の楼門と舞殿と社殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の社殿は、承応3年(1654)徳川家綱が再建した。祇園造と呼ばれる神社建築の一様式となっている。
平成の大修造営に伴い修復、日本最大級の神社神殿である。平成14年4月15日本殿遷座祭を斎行し、色彩豊かな本殿が竣功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本殿の下には、大きな池があって龍が棲むという伝説が残されています。それは、大地のエネルギーを龍と見立て、その気が集まる場所を「龍穴」とされています。その龍穴がある池の上に建てているといわれているのです。

社殿に至るほかの入り口を見てみましょう。冒頭の四条通からの入り口の夕方バージョン。

応仁の乱で焼失後、明応6年(1497)桧皮葺で再建。永禄年間(1558~1570)に瓦葺きに替えた。大正2年(1913)四条通拡張に伴い移動。同時に翼廊を建て現在の姿となった。94年ぶりの大規模な改修工事が平成19年11月30日に竣功した。門前のさつきの植え込みも有名で、こんどは花季にきてみよう。

昼は修学旅行のJC。夕刻は和服の女性。何時ごろ参拝するのが幸せか?

西楼門をあがって手水舎。

身を清めてから、右手に折れて40mくらい進んで左手に階段が・・

こちらも24時間見張ってます。

この前方に舞殿があります。

 

つぎに、円山公園のほうから入ることにすると・・

 

東北門から境内のルートです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神馬舎

摂社

疫神社  祭神:蘇民将来


悪王子社  祭神:素戔嗚尊の荒魂 
京都市下京区に「悪王子町」と「元悪王子町」と名の付く町があり昔はこの町内に祀られていた。現代語の悪とは意味合いが少し違い昔は「悪=強力」と言う意味合いもあった。明治10年(1877年)に八坂神社で祀られる様になった。



冠者殿社  祭神:天照大御神との誓約時の素戔嗚尊の御気

末社

北向蛭子社 - 祭神:事代主神


大神宮 - 祭神:天照大神・豊受大神だから、伊勢神宮のコンビですね。

美御前社 - 祭神:多岐理比売命・多岐津比売命・市杵島比売命

祇園の舞妓さんも通うという社の前には、神水が湧き出ています。三女神と言われる「多岐理毘売命」「多岐津比売命」「市杵島比売命」が祀られているこの社の前にある神水を2,3滴肌につければ、肌だけれはなく、心から美しく磨かれると言われています


大国主社 - 祭神:大国主神・事代主神・少彦名命

大国主命は出雲大社のご祭神でもある神様。

「因幡の白兎」のお話も有名です。


玉光稲荷社 - 祭神:宇迦之御魂神。玉光稲荷社権殿の「命婦稲荷社」と二社で一体とされている。


日吉社 - 祭神:大山咋神・大物主神
刃物神社 - 祭神:天目一箇神
厳島社 - 祭神:市杵島比売命

大年社 - 祭神:大年社・巷社神


太田社 - 祭神:猿田彦命・宇受女命

「猿田彦命」と「宇受女命」が祀られている。猿田彦命と宇受女命は夫婦です。そして、妻である宇受女命は「佐留女(さるめ)」とも言われて、猿田彦の女という意味でもあるのです。これは、婚姻して名前を変えるという形の原型とも言われていて、この夫婦のご利益として縁結びを期待する人も多いようです。


十社 - 
多賀社(伊邪那岐命)、熊野社(伊邪那美命)、白山社(白山比咩命)、愛宕社(伊邪那美命、火産霊命)、金峰社(金山彦命、磐長比売命)、春日社(天児屋根命、武甕槌神、斎主神、比売神)、香取社(経津主神)、諏訪社(健御名方神)、松尾社(大山咋命)、阿蘇社(健磐龍神、阿蘇都比咩命、速甕玉命)の十社。


五社 - 
八幡社(応神天皇)、竈神社(奥津日子神、奥津比売神)、風神社(天御柱命、国御柱命)、天神社(少彦名命)、水神社(高龗神、罔象女神)

車専門?の常磐神社は駐車場そばにあります。

参拝のあとは、お約束の・・・祇園の酒蔵直営店で純米をいろいろと頂きました。

四条大橋から。左手が先斗町。

ここからの景色は40年前と変わってないように思います。

2012年1月

2013年12月参拝

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おまけ①

1971年ころ、仕事で京都に半年ほど住んでいたことがありました。今年が2014年。40年以上昔のはなしですね。

このころは京都駅近くの旅館は修学旅行向けか、超高級な旅館とホテルしか知りませんでした。出張旅費で賄える適当な商人宿がなかなか見つかりませんでした。

ビジネスホテルというものもなかったはず。結局このときは、宇治の旅館に滞在。晩の賄い付きで一泊850円か900円。

休日は京阪電車で三条まで遊びにいっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高瀬川に沿って四条通りまでいくと、喫茶「築地」とか、リプトンの紅茶ぶっかけアイスにお世話になっていました。遠くに八坂神社西楼門(にしろうもん)が見えてました。

おまけ②

公式HPには出ていませんが、実は兵庫県姫路市の広峰神社と「本社争い」をしています。

神戸市の祇園神社のHPには、

平安時代の末期、第56代清和天皇の御世、京都では疫病が流行って多くの人々が死んだり、雷が落ちたりする災害がよく起こりました。
これらの原因は、災害で被害にあったり政治などで失脚した人々の祟りであり、その御霊を鎮める事によってその力を頂くと言う御霊(ごりょう)信仰がはやっていました。
そこで占いをし、姫路の広峰神社にまつられている素盞嗚尊(すさのおのみこと)がこれらの祟りを治めるのに力があるという事がわかりました。
今の京都・八坂神社の前身、京都北白川の東光寺(後に今の八坂の地に移り『祇園感神院』と称した)に素盞嗚尊をおまつりするため、貞観11年(869)のある日、姫路から京都に向けてご分霊をお載せしたお神輿の行列が出発しました。(以下略)