●蚕の社地図
知る人ぞ知る神社。最後に参拝した時の写真が出てきたので再編集します。
正式な名前は、「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」。
古墳時代に朝鮮半島から渡来した秦氏ゆかりの神社。
木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内 社で、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命を祀っている。
「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されてい ることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。
この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・ 機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿 の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり、「蚕の社」も それにちなんだ社名である。
この神社は、古くより祈雨の神として信仰が厚く、参詣の人も多か ったことが平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」など の文献からうかがい知ることができる。
社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を 取囲むように巨樹が繁茂している。本殿の西側には四季湧水する「元 糺の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居 の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。
例祭は、毎年10月10日が行われるが、夏季土用の丑の日には、 この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。
市内でも最古に属する当神社は、境内 から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の 姿をよくとどめており、京都発展に大き な役割を果してきた秦氏との関連を含め、 大へん貴重なものとして昭和60年6月 1日に京都市の史跡に指定された。
推定面積11.131㎡
嵐山電鉄で「蚕の社」駅を降り、三条通りの横断歩道を渡ると・・
参道の鳥居。 写真は、三条通から。ここをまっすぐ。
境内入口
社殿。夕方(次)と正午(その下)。
境内の湧水池は「元糺の池(もとただすのいけ)」と呼ばれる。元糺の池入口。
「糺(ただ)す」といえば、下鴨神社には「糺の森」がありますが、下鴨神社の禊場所として有名な「御手洗池」の元が、蚕の社の「元糺の池」のようです。
谷底にある3柱鳥居。この意味を巡っていろいろ・・ 景教(原始キリスト教?)の流れとか。
三角鳥居(三柱鳥居)をモデルにして、江戸にて三井の越後屋(三越の元になった店)が茶会を開く庭に三柱鳥居を作った。その後、移設されたのが、越後屋からみて鬼門の方角にあった神社が東京向島の三囲神社。そのまま読むとミツイ神社ですね。ミメグリ神社と読ませるそうですが。
秦と三井は太い繋がりがあるようです。
池に入り水を浴びて禊ぎをしていた・・とも言われているようだ。
湧き水は枯れていました。
子供たちの遊び場にもなってます。
2006年7月13日参拝
2006年9月2日参拝
20130325文書更新