八坂神社 大政所御旅所

 

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八坂神社 大政所御旅所

四条烏丸から烏丸通りをちょっと京都駅よりいくと左手にささかかな社があります。
だいぶ以前から気にはなっていましたが、写真を撮る機会がありましたので掲載。
  御祭神:   素戔嗚尊(すさのおのみこと)

 由緒等:  祇園会の神輿三基のうち、素盞嗚尊(牛頭天王)と八王子との二基を大政所とよび、

 妃神奇稲田姫の一基を少将井と呼んだ。

 江戸時代にはこの大政所の神輿は八坂神社を出て四条通を経て神泉苑に入った。
 
 この御旅所は円融天皇の時代に秦助正という人が夢に八坂大神の神幸を見、
 
 また自宅の庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て朝廷にこのことを奏上した結果、

  助正の家が御旅所となり、その後大政所といわれるようになったという。
 
 後奈良天皇の天文5年(1536)に騒乱のため焼失し、 天正19年(1591)
  豊臣秀吉の命により四条寺町に御旅所が移されたがそのあとに町の人々が小祠を建て、
  八坂大神を奉祀し、大政所町鎮護の社として毎年7月16日を例祭日と定めた。

                                 ≪京都市案内板より≫
 
社号は「八坂」ではなく「八阪」となっているのはなぜ?
神社の額には「(八坂ではなく)八阪」とありますが、ある宮司さんによれば
「全国には八阪と呼ぶ神社も多くあるし、明治政府が決めた話なのでどちらでも良いでしょう」
とのこと。まあ、所詮、音(オン)がいっしょならいいんです。漢字の当て字だから。
ヤサカ神社は一説では大和時代、高麗の調使であった伊利之(いしり)の後裔・八坂氏が
朝鮮の牛頭(ごず)山に祀る牛頭天王を移したことに始まるともいわれています。
また帰化した八坂造(やさかのみやつこ)一族の氏神だった感神院が起源とも
いわれているそうです。八坂造(やさかのみやつこ)一族の氏神なんです。
(同じ文章を京都八坂神社編に追記します20130101)
 

 

2012年12月

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