首里城 弁財天堂

 

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首里城 弁財天堂

首里城公園公式HP http://oki-park.jp/shurijo-park/guide/other.html#bezaiten

勝手に多謝。上のHPの写真を何点かお借りしています。

目的地は地図の左上にある弁財天堂です。

まずは、メジャーな首里城を見てから、弁財天堂に行くことにします。

守礼門(しゅれいもん)

中国風の牌楼(ぱいろう)という形式。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所である。
形は門になっているが人が通る門ではなく、
いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所である。
歓会門(かんかいもん)
里城の城郭内へ入る第一の正門で、「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味。
門の両側には「シーサー」という一対の石造の獅子像があるが、
これは魔除けの意味で置かれている。神社だと狛犬さんですね。 
冊封七碑(さっぽうしちひ)
「冊封七碑」とは、龍樋の周辺に設置されている七つの石碑のことである。
中国皇帝の使者として琉球国王の即位を宣言するために遣わされた
歴代の「冊封使(さっぽうし)」たちは、龍樋の水の清らかさを讃え、
漢詩を詠んだり題字を残した。
龍樋(りゅうひ)は、龍の口から湧水が湧き出していることようから名付けられた。
この水は王宮の飲料水として使われていた。
瑞泉門(ずいせんもん)
「瑞泉」とは「立派な、めでたい泉」という意味である。
門の手前右側にある湧水が「龍樋」と呼ばれ、それにちなんでこのように名付けられた。
ここは第二の門で、別名「ひかわ御門(うじょう)」ともいう。
漏刻門(ろうこくもん)
「漏刻」とは中国語で「水時計」という意味である。
ここは第三の門で、別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいう。

当時、身分の高い役人は駕籠(かご)にのって首里城へ登城したが、
高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたということから呼ばれている。
これを入ると広い空間が表れる。
「下之御庭(しちゃぬうなー)」という。
沖縄的表現で「下の庭」という意味。
首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る前の広場で、
正殿前で行われる様々な儀式の控え場であり、
現在は城内でのイベント等の際に利用されている。この日も・・。
お城の中の紹介は他の紹介に譲り、城外へ移動します。 
久慶門(きゅうけいもん)
別名「ほこり御門(うじょう)」ともいう。
歓会門が正門であるのに対し、ここは通用門で主に女性が利用したといわれている。
国王が寺院を参詣したり、浦添から以北の地方へ行幸するとき等に使用した門。
これは、裏口になるようです。
タクシーが手ぐすね引いています。
これを振り切りしばらく行くとこの本来のテーマのポイントになります。
このとき、すでに、ケータイは電池切れでカメラNGでした。無念。
 
弁財天堂と円鑑池(べざいてんどうとえんかんち)
円鑑池は円覚寺の前にある水深3メートルほどの人工池。
首里城内の湧水・雨水が集まる仕組みとなっています。
弁財天堂は池の中央に浮かんでいるかのように佇む赤瓦の小堂。
航海安全を司る水の神・弁財天を祀っています。
この神様は、水辺に社を構えてますね。
弁財天は元々は、インドの水脈の神サラスヴァティ様であることから、
日本でも水に関係した湖、川、海の近くに祭られてることが多いです。
厳島神社 宗像大社 が有名ですが、
ここに似た立地の社としては、東京だと、井の頭弁財天 石神井厳島神社
を思い出します。

また弁財天の財と言う文字から、財産の神、また手には楽器の枇杷を持ってることから
芸術や演芸の神ともされてます。
こっちでお仕事の後、
弁財天さまに感謝しながら、沖縄のお刺身と泡盛を頂きます。
日本酒置いていないんですよ。次回は、持ち込みを許してね。

 

これらは2006年から2007年の頃の写真です。この記述は2013年春です。

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おまけ

お仕事を終えて、国際通りから、シーサー、龍の頭、アイちゃんなどを横目に
市場にむかうと
こんな方が・・。
元お遍路さん。
選挙の応援演説前だったようです。一応お話などしてお写真を。
その後、都内で某候補者の応援に来ていたときに遭遇して握手頂いたんですが、
やっぱり記憶に無かったようです。
さらにその後、まさかの日本のトップに。その後は・・。
現在は、モザイク不要な政治家ですが、いづれモザイクが必要になるので、大きい方は
かけておきましょう。